Zippoって何?
映画やドラマで一度は目にしたことのあるオイル式ライターのZippo。
有名でいい音の鳴るライターくらいの感覚で、私もタバコを吸うわけではありませんが、1つは欲しいと思っていたので、今回はそんなZippoについて少し調べてみたので、共有したいと思います。
目次
『はじまり』
1930年代初頭のアメリカ、ペンシルベニア州のブラッドフォードにある「ブラッドフォード・カントリークラブ」という場所でのとある出来事がきっかけで、Zippoの歴史は始まった。
ジョージ・G・ブレイズデルはそこで、使いずらいオーストリア製のライターに四苦八苦している友人が目に入った。
そのライターは風には強いものの、片手で点火するのは困難で、効率もよくなく、デザインもいまいちなものだった。
そんなオーストリア製のライターを改良したのが最初のZippoです。
Zippoには様々な逸話が存在する。
ある時は兵士の胸ポケットで銃弾を受け止め、またある時には釣った魚の胃袋から出てきたZippoが無事着火など。
そんなZippoの歴史について今回は紹介したいと思う。
『特徴』
他のライターに比べ、優れた耐久力を持ち、風や水に強く安定した火力を備えた構造となっており、信頼度が非常に高い。
また、なんといっても多種多様なデザインに、Zippo特有の開閉音が多くの人に好まれており、私もその1人だ。
そんなそこら辺の使い捨てライターにはない魅力がZippoには詰まっている。
また、オイルを足して手入れをすることで、長く使うことが出来るため、愛着を持って長年相棒として使っている方も少なくないのではないだろう。
『最初のZippoの誕生』
再程も少し触れたが、舞台は1930年代初頭のペンシルベニア州ブラッドフォード。
世界恐慌で職を失ってしまったジョージ・G・ブレイズデルは次の一手を模索していた。
ジョージが経営していた会社では主に油田事業を手掛けていた。
しかし、世界恐慌の影響により、需要が低下するだけではなく、油田から油が取れなくなってしまうなど、危機的状況に陥ってしまった。
そこで、地元の主要人物が集まるパーティーに出席してみることに。
カントリークラブで開催されたパーティーのさなか、使い勝手が悪く、付きにくいライターと葛藤する友人がいた。
何故そんな使いにくいものを使っているのかをからかい交じりに問うと、特にこだわりが無く「火が点けられればなんでもいい」といった、回答が返ってきた。
そこでジョージは品質の良いライターを作ることを決意する。
当時、大半のユーザーは友人と同じような考えを持っており、メーカーもそれに沿って、安くて値段相応の変質のライターを出荷しており、それが市場を牛耳っていた。
そんな市場であえて、高品質高価格のライターを作れば、寿命が短い安いライターに嫌気がさしたユーザーが買ってくれるのではないかとジョージは考えたのだ。
早速行動に移したジョージはまず、粗悪なライターメーカーであるオーストリアの会社と交渉し、アメリカでの独占販売権を獲得した。
最初にライターに対する、安っぽい印象をなくすべく、外観をクロムメッキで塗装し、価格を一般的なライター価格の25セントから1ドルに設定した。
しかし、これはあまり売れなかった。
何故なら、メッキで塗装しただけで、中身や機能面は全く変わっていなかったのだ。
ここで、機能面の改善こそ、高価格でも売れるライターの実現に繋がるとジョージは確信した。
そこで、自動車修理工場の一部を借り、そこへ工作機械を持ち込んで、ジョージは自らの手で新しいライターを作り出そうとした。
そうして1933年に新しいライターを完成させることにジョージは成功し、そのライターに「Zippo(ジッポー)」という名前を付けた。
これはジョージは当時使われ始めた「Zipper(ジッパー)」という服やバックの留め具名の響きが気に入っていたためである。
この時作られたZippoは「1933 original」と呼ばれており、約25000個生産され1ドル25セントで販売されたが、現存しているのは50個程度だと言われており、コレクターの間でとても人気が高く、2001年に日本で存在が確認された時には約120万円で取引され、2007年には、Zippo誕生の地であるブラッドフォードで開催されたZippoオークションでは約400万円で取引されている。
「1933 original」(レプリカ)
余談だが、Zippoを始めとしたコレクターズアイテムは価値の上昇が著しく、資産運用の手段として用いられることもあるようで、中には発売して購入し手元に届いたころには、取引相場が購入額を大きく超えている場合も珍しくない。
個人的に驚いた対象としてはレゴブロックだった。
『企業販促用Zippoの誕生』
最初のZippoが1933年に登場し、その2年後である1935年には同じブラッドフォードにある自動車用オイルメーカーであるケンドール社が広告としてブランドロゴ入りのZippoを500個注文。
世界発の企業販促用のZippoの誕生である。
このZippoは「1935 Kendall」と呼ばれ、その再受注品である「1936 Kendall」が約120万円で売られている事を見ると、初期生産品はそれ以上の値が付くことは間違いないだろう。
「1935 kendall」(レプリカ)
『Zippoのポリシー』
Zippoには無期限の機能保証のポリシー「It works or we fix it free」というものがある。
直訳すると「機能するか、私達が直すか」という意味だ。
Zippoは無期限の無料保証がついており、壊れていても損傷具合にもよるが、ほとんどの場合で修理を請け負ってくれる。
それを証拠にZippoのサイトではこんなことが書かれている。
「創業以来、ジッポライターの使用年数やコンディションにかかわらず、ジッポライターの機能面での修理に対し1セントすら費やした者はいません」
『戦争とZippo』
これを受け、Zippoは一般向けのライター生産を中止し、軍への納品を目的としたブラッククラックル仕上げのZippoの生産に切り替えた。
表面を黒く塗装したのには「反射による位置バレを防止するため」といった説があったが、実際のところはZippoの素材として使われていた真鍮が弾薬生産に回されたことで、入手が難しくなり、鉄で作らなければならなくなった。
そこで、錆止めとして黒く塗装したようだ。
ちなみに「ブラッククラックル」は塗料の表面がヒビ割れたことから名前が付いたらしい。
「ブラッククラックル」(現行モデル)
そんな黒いZippoは何百万人の兵士の手に渡り、戦地ではとても重宝された。
理由はZippoの優れた耐久性と、どんな環境でもオイルとフリント(発火石)があれば火を点ける事が出来るうえに、片手で扱え、風が吹いても簡単には消えないからだ。
Zippoと言われるとタバコのイメージがあるかもしれないが、戦地などではサバイバルキットとしての役割もあった。
かの有名なアイゼンハワーもZippoを愛用していたことで知られており「私の持っているライターの中でどんな時でも火がつくのはこれだけだ」と称賛していた。
そんな兵士達の相棒は、対戦が終わるころにはアメリカ国民の生活必需品なっていた。
『生活必需品になったZippo』
Zippoの利便性はまたたく間に世界中へと広がり、1949年には鳥や魚などがデザインされた「1949 Town&Country」を発売。
これも非常にコレクター価値が高く、現在では6万円前後の価格帯で取引されている。
価値が高い主な要因としては、世界で初めてウェットエチングとエアブラシでイラストを再現したZippoであるためだ。
この手法には現在にも引き継がれており、いわばデザインZippoの元祖ともいえる。
このZippoを境にデザイン性という付加価値をライターに載せることができ、そんな商品を世に次々と送り出していく。
1950年頃には表面を革で覆ったものや、純銀製のスターリングシルバーモデルなどを発売。
1956年には女性向けにスリムモデルを発売したところ、男性からの人気も高いモデルに。
1960年には創業以来通算1億個製造を達成した。
また、Zippoと言えば、先程も紹介した販促品などの非売品が多く、今ではプレミアになっている物もあり、数百倍もの価格で取引されている場合もある。
中には、ミッキーマウスやミニーマウス、ドナルドダックなどが描かれたディズニーZippoも存在する。
そんな販促品Zippoが占める割合は多く、1992年のデータによれば製品全体の40%が企業の宣伝も目的で作られたものだった。
『禁煙化とZippo』
1980年代から本格的に始まった禁煙運動はZippoの売り上げに大きな影響を与える出来事だった。
アメリカだけではなく、日本でも昭和の初めころなどは仕事をしながらタバコを吸うのは当たり前で、教員が教室で生徒に授業を行いながらタバコを銜えている光景は何も珍しくなく、当たり前の光景だった。
世代が違えど、昔の日本の映画やドラマを見たことがある方は理解していただけるのではないだろうか。
しかし、現代では社内はもちろん、飲食店でも禁煙で、歩きたばこなんてもってのほか、決められた狭い喫煙所に押し込められる喫煙者達であふれており、世間からの風当たりが強いせいか、電子タバコも普及してきた。
日本はもちろん、世界各国でタバコによる喫煙者が健康状態を悪化させる事や、周囲の人間に及ぼす悪影響が周知の事実となり、世界規模の喫煙運動になっている。
1973年にはアリゾナ州で公共の場での喫煙を制限する法律が制定され、1998年にはカリフォルニア州で限定された場所ではあるが喫煙を完全に禁止する法律が制定されるなど、日本でも締め切った室内での喫煙が禁止された。
世間的にも法的にも縛られるようになった。
こういった世の中の動きによって、喫煙者の肩身が狭くなり、数を減らしていった。
しかし、そんな喫煙者の人口反比例してZippoは売り上げを伸ばし、2013年には過去最高売上を記録した。
これには2001年ころに世代交代で社長兼CEOに就任したグレック・ブースの若者や非喫煙者へ向けた新たな手法での売り込みが成功したことが大きい。
新たな売り込み先はアウトドア分野だ。
アウトドアはなにをするにも火は必要不可欠。
そこでZippoはアウトドアが趣味な若者層に向けて売り込み、さらには今まで進出していなかった中国市場でのビジネスを拡大。
Zippoのブランドイメージを守りつつ、売り上げを伸ばすことに成功した。
2012年には創業80年を迎えると共に、Zippoの販売個数が5億個を突破した。
『最後に』
今回はZippoについて取り上げてみました。
最期に個人的に好きな言葉を紹介して終わります。
「これは金属の箱にすぎない。でも、この箱でかなりのことができるんだ」
これはZippoの生みの親であり創業者のジョージ・G・ブレイズデルの孫に当たるジョージ・ブレイズデル・デュークが雑誌のインタビューに対して、手の中でZippoを転がしながら言ったセリフです。
火が人を魅了するかぎり、この会社がなくなることはなさそうですね。
私もZippoが欲しいんですよね、特にデザイン性に興味はなくシンプルな物が好きなのですが、タバコを吸うわけでもなければ、アウトドア趣味もないので、何処で使うのかわかりませんが、ライターは1個持っておいて損はないですから。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
この記事の内容をうのみにすることなく、複数の記事を参考にし、総合的に判断することをおすすめします。
では、またどこかで。
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